芝居の何故?

「アフリカの自動車」(6月のホッシーの一人芝居)の稽古中。今日は沢山の何故にぶつかりました。
面白がって積み上げては、ちょっと冷静になって崩す。の繰り返しで作って行ってます。
やっぱり、土台には色んな角度からの「何故?」に答えられるだけの強さがないと、
芝居がどんどん積みあがらんくなるから、今は特に大事な時期。
何故の答えが「芯」やねん。悩んで当然やけど、あんまりくずす量が多くて、なんで芝居をしているの? とかまで度々戻っちゃうと、もうウゲってなっちゃいますけど。
でも、私は絶対、答えは「ある」ということだけは信じることにしています。
一度でも心に引っかかって表面に出てきたものは、この世のどこかに「ある」のです。
もう、極端な話をすれば、サンタクロースだっているのです。一度でも信じてしまったことのある人にとってはね。(同調する人が舞台上と客席と最低一人ずついれば、芝居は成立するのです。)
形を持たない、進化途中のもやっとしたもの。そいつに「どうなりたいの?」って尋ねていれば、
きっといつか進化して、日の目を見ると思う。それはずっと先になるかもしれないし、形を変えるかもしれないけれど。だって、今ここに飛び出してきたってことはもう、この世に生まれた「何か」なんやもん。